木天蓼マタムネのブログ

ただの日記。日常の事、思ったこと、考えたことを書く。

8日目 カナダ バンクーバー ワーホリ

8日目


勉強

1、学校の宿題の文章を精読

2、発音の勉強

3、洋楽の歌詞とシンガーの発音の聞き取り



今日の言いたかったPhrase


I will practice singing and remember English song at the same time of studying English.
Because,I think that it is productively.


「英語勉強するついでに歌う練習と洋楽の歌詞を覚えてしまおうと思う。それの方が生産的だと思うから。」



Thing of Thinking (考えたこと) about Listening and Speaking (リスニングとスピーキングについて)


1週間過ごしたわけだが、
英語の聞き取りの面で違和感があった。
学校の先生の言ってることは何となくわかるんだけど、

フィリピン系のお母さんの言ってることとか、
特に店員の言ってることがわからんかった。


そんでもって、
店員さんに言葉を理解されないことが多かった
多分発音の問題で。


そこでリスニングのスキルアップ情報を探索。


すると、
そこで意外な発見というか、新たな知見を認識


ユーチューブに上がってる英語の教則ビデオによると

「カタカナ英語的な理解をやめましょう」
「母音が日本語の5個に対して、英語には25個ある」

ということだった。

今まで何となく、破裂音とか飲む音が存在するというところは知っていたけど、
今回ここらへんの肉体感覚的な理論をしっかりと認識。

自分としては会話に必要なのは
Context (ッコォンテェクスト)ー文脈であり、
会話の目的を情報交換だとかんがえることであり、
日常会話レベルなら、いくつかの問題も語彙でカバーできるという英語観があった


がしかし言語っていうのはさらに根本的には「耳を通した音のやり取りなんだなーと認識。

ここらへんは音楽やってたから、「ピッチ(音程)を耳で調節する」とか「コード(和音)を耳で聴き分け
 る」みたいな、記憶力を使ったで物事のとらえ方じゃなくて、五感の鍛錬で習得する感覚があるから、これと照らし合わせると割かし納得。

とりあえず、発音記号の意味する音の勉強とリエゾン(単語と単語が発音中につながること)対策に
洋楽の歌い方をカタカナ表記にして歌う勉強を考案。

多分いけそう。洋楽の歌詞の意味考えるの好きだし、口語表現の勉強にもなりそう。



つくづく思うが日本の英語教育は文部科学省のにしても、
塾の(特に受験対策)にしてもただの日本の教育の一教科でしかないような気がする。

実際点数はよくても実践したら使い物にならんなんて詐欺やん。

学問としての英語より、コミュニケーションツールとしての英語という認識をもっと大事にしてほしいものだと思う。


以上。
気ままに編集と言葉選びをしたWas.


イメージは教則DVD販売のページ【笑】
 


7日目 カナダ バンクーバー ワーホリ

7日目


読み込み不良で書いてたのが消えたので、一週間記念にいつもと違うことを書く事に決定。

1枚目:バンクーバー市内グランビルストリートの橋からの眺め。
手すりが低いから普通に飛び落ちてしまいそう。

2枚目:州立図書館
スケールと見た目がが圧倒的

3枚目:半月ぐらい継続して開催されるジャズフェスの画像
ラテンミュージックすげーなと実感。リズムの取り方が独特だし、情熱的だし、手数多いしで正直ロックよりもエモーショナルで熱いと個人的に思った。でも常夏感がジジ臭さ出しちゃってるように感じるのは認める。

到着してから、いろいろ考えてて思うのだけど隠れミッキーのように【個人主義】の原則が見え隠れする気がする。
国民保健とか、生活困難者とかそこらへんは特に。

東京なみに人がいる中で、普通にホームレスがお金たかってたり、ごみ箱(道端のだけでなく店内のも含む)をあさってる。

NPOとかはいるだろうけど、「生活援助は国家の責任の範疇にはないです」ってスタンスっぽいし。
倫理観の背景に人を受け入れる器、ふところの深さの尊重もなさそう。


言うなれば「慈悲を与えるのも、非難を与えるのも、無視をするのも個人の自由と責任である」的なスタンスっぽい。

前読んだ宗教の本にキリスト教は「個人と神との信仰」的なことが書いてあったのを思い出す。
(ユダヤ教は「ユダヤ民族と神との信仰」、イスラム教は「イスラム教徒と神との信仰」、
神道は「人と神との共存生活的維持のための信仰」だと僕は理解してる。)

とりあえずバス乗ってて、運転手が道おもいっきし間違えて、乗客にルート教えてもらってたのには笑った。

仕事もバイトの採用も、レジュメの形式指定、面接の常套句的なものはなさそう。
基本は面接者VS採用者って感じで、当社の期待する社員像的な視点から面接者を採用するわけではなく、採用者のセンスに一任って感じな気がする。
まあここらへんの問題は単一民族の日本の仲間意識の方が稀なんじゃないかと思う。


文字打つ・文を考えるのがめんどくさくなったので終了。

Tomorrow,I will go to Jazz stage alone 6日目 カナダ バンクーバー ワーホリ


6日目

・コミュニティ作りは「Meet up」( http://www.meetup.com)

・Conversation Club に行ってきた。

・友好関係作成は継続と、飲みが重要なんでねかと思う。

・バンクーバーについてはバンクーバー情報サイトを見よう。

(http://gotovan.com/event/)

現在ジャズフェスティバル開催中

・証明写真が撮れへん。

・店で何言ってんのか分からんのに安易にYeahとかOKとか言うべからず。

・「察する」という文化はUnusual。




今日の言いたかったフレーズ

 I can't use Facebook without Wi-fi

        「私はワイファイがないとフェイスブックを使えません。」

    Anyway I would like to take my certification picture.  

  I' m not concerned about any standard and requirement.(in particular)

  「とにかく私に証明写真を撮らせてください。特に規格や条件は気にしないので」

   It will  depend on my visa situation. 

 After changing Visa,If I got any job, I could stay more time.

それはビザの状況によります。ビザを変えた後で、もし職が見つかれば、もっと滞在できます。」