木天蓼マタムネのブログ

ただの日記。日常の事、思ったこと、考えたことを書く。

【ナショナリティとかいうこと】画像

【ナショナリティとかいうこと】

【ナショナリティとかいうこと】

7/1 カナダデイ(カナダの建国記念日)のパレードに盆踊りで参加しました。


多民族国家ということもあって国際色豊かなパレードでだいたい30国ぐらいの民族衣装の団体がありました(多分アメリカはスターウォーズのコスチュームが民族衣装。笑)。


パレード自体は参加してたこともあり見れていないのですが、学校やホームステイ先、 その他集まりで感じていたものも重なり、ナショナリティ(=自分が日本人であるということ)というものを漠然と実感した気がします。


それはうまく言えませんが気候や歴史、信仰に根差した文化であり、世界の国々の集まりの中での立ち位置みたいなもののように感じました。


例を上げると、他国の人に日本人は静かだ、発言力が弱いとかとよく言われますが、少なくとも僕が思うに日本は大きく自己を主張しない文化・立ち位置が国民性なのかなと思います。(歴史においての結果論であり一概には言えないと思うが)


ここでいう歴史においてというのは戦後のアメリカ統治の歴史のこと。 仮に何か運よく戦争に日本が勝っていたのなら日本の国民性は変わっていたとおもう。


またもともと日本の文化・歴史それに関する音楽考え方が好きで(アニメ、ゲームでいうとシャーマンキングとかがんばれゴエモン、大神)、興味もあり新渡戸稲造「武士道」や世界最長の王制「天皇制」存続の理由に関する著書を何冊か読みましたが、ぼくとしては国土の小ささ、資源の少なさ、気候、気候・地形によって定まる農業形態、他国に植民地にされた歴史がないことなどから全体主義を基本とする国なんだと思います 。


中でも強いのはおそらく単一民族としての仲間意識で仮に元やら西欧諸国に植民地化されてたらもっとことなる文化ができたと思う。
それと仮に全体主義でないとすると(正確には天皇を国家元首にしたうえでの与えられた全体主義的なもの)江戸城無血開城はなく、歴史も変わってただろうなとか思う。 


結局何が言いたいかというと僕にも他国の人と他国の文化の中で育ったのと同じように生まれてからのほとんどを日本の文化の中で育った事実があり、そこから生じた価値観を捨てるのもいいが、誇りにするのも自由なのではないか?はたまた誇りにしたとしてそれは自分の成長を止めることにはならないのではないか?



 日本人なら誰でも好きというわけではないが、少なくとも僕は愛国心ともいえそうな考えの下日本が好きだという。

消化試合 9日、10日、11日目 カナダ バンクーバー ワーホリ

8、9、10日目


・カナディアンと日本人の交流会に行った。

・ジャズライブいった

・疲れた 


三日まとめて


It' s amazy!!!!!!!!!!!!!